聖工房

about

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この道を進むということ

 

福岡県北九州市で生まれ育ちました。
19歳の時、初挫折、そのつらさを偶然に出会った陶芸が紛らせてくれ、少しずつのめり込んでいきました。
会社員をしながら、毎日のように陶芸室へ。おじいちゃん先生がたまに顔を見せる程度で、素人のグループで好き放題やっていた陶芸はとても楽しかった。
10年間、好きなものを作り、釉薬を試し、灯油窯を焚き。
地方都市で、今ほど情報もない時代、わけもわからず、試行錯誤しながら土と遊んだ日々は、自分の原点なのだと思います。指導者がいたわけでもなく、何もかも自分たちで考えなくてはならなかったけど、自由だった。

大好きな陶芸だったけど、当時はまさか仕事にできるとは思わず、結婚を機に大阪に引っ越し、2度の出産、子育てで、陶芸を離れて10年。その間、何度かの引っ越し。
家族は私にはとても大切な存在で、子育ては今振り返ると楽しい日々でした。
けれど、子どもが小学校に入るとき、一生続けられる仕事がしたいと強く思うようになったのです。悩みに悩んだ末、自分には、そういう仕事は陶芸しかないと思い定めました。それから、やみくもに探して、やっと見つけたのは、大阪岸和田の西念陶器研究所でスタッフとして働きながらの陶芸修行。とはいっても最初はお掃除要員で、土にも触れないような日々でしたが、少しずつ、やらせてもらえることも増えて・・・
陶芸の歴史、古陶磁の勉強、土や釉薬の作り方、電気・ガス・灯油・薪とさまざまな窯の焼成、陶芸イベントの運営、陶芸教室の講師、陶芸新聞の編集、轟陶磁史料室の立ち上げ、茶道の稽古・・・掃除も雑用も山のようにありましたが、思えば、多岐にわたり、さまざまなことをやらせてもらいました。たくさん勉強させてもらって、私の陶芸の基礎は、この4年間にあります。西念秋夫先生には心から感謝をしています。
とはいっても、家庭を維持しながらの仕事と修業。スケジュール帳は真っ黒で、ほぼ休みもなく、いつも疲れていて、なのに肝心の作る時間はなかなか取れずに、何もかもが中途半端で、惨めで悔しくて、いつかちゃんとうつわ作家になりたいと切望していたあの頃。
それでもあきらめずに続けてこられた4年間があったからこそ、その後独立しても、何とかやってこられたのだと思います。
岸和田に工房を持ち、独立してからは、いくつかの陶芸教室の講師、グループ展やクラフトフェアへの出展、自分の陶芸教室の運営、薪窯焼成やバスハイクの企画、教室作品展の開催、金継ぎの勉教と何かに追われるように仕事をしていました。
この時代に、水なす灰釉や綿実灰釉などの灰釉を作り、岸和田の土をベースに白化粧を作り、薪窯の焼成の経験を積み、織部・志野・黄瀬戸などの古陶磁に挑戦し、少しずつ技術を深めていくことができました。
そして、たくさんの陶芸教室をしたおかげで、自分なりの教室の運営の形が出来上がっていったのもこの頃からです。西念陶器研究所時代の4年間より、もっと忙しい日々ではありましたが。

そして子供たちの手がようやく離れるころ、陶芸に打ち込める時間が増えそうな矢先に(それをどれだけ待ち望んでいたか)、和歌山在住の義母に介護が必要になってきたのです。そのうち義父にも介護が必要になり、和歌山で暮らすことを決めました。一大決心でした。遠距離介護から始まり、なんやかんやがあり、本当になんやかんやがあり、気づけば10年。義父母を看取り、遺された義父母の家とその敷地内に建てた自宅兼工房。
知人も友人も数えるほどしかいない和歌山の地ですが、ここが最後の住まい。
慣れない土地での介護生活は、いつのまにか夢や仕事欲を抜き去っていきました。覚悟していた以上に気持ちが萎えました。和歌山に越す前に教室もひとつだけに整理し、作ることも、気持ちが無理で思うようにできなくなりました。介護だけで精いっぱいで、介護が終わってもなかなか元の自分に戻れないでいたのです。自分の弱さを思い知りました。
けれど、どうにかまた立ち上がることができて、義父母の家を何か月もかかって、自分でDIYをして改装、陶芸教室と小さなギャラリーを始めることにしました。
美しい自然と優しい人々。おいしい食材、ゆったりと時間が過ぎる和歌山が大好きです。ここでずっと生きていきたい、陶芸の楽しさを伝える仕事をしながら、大好きな器を作り、それを喜んでもらいたい、残りの時間をそうやって和歌山で過ごしたい、そう願っています。

かっこわるい挫折だらけの私の陶芸の道。あきらめが悪かったから、何とか続けられたのかもしれません。周りの同じ仕事の友人を思い浮かべても、それぞれの事情があり、生き方があり、悩みながら、模索し続けています。続けていられるのは、幸運なことかもしれません。
モノを作ることは、楽しいと見せかけて実は地獄と隣り合わせ、覚悟のいる仕事です。覚悟もない自分が、ぐずぐずとやめることができないのは、不運なことかもしれません。
それでも、何者でもない自分がもう少し前に進みたいと思うことが、もしかしたら、誰かの一歩進む勇気のかけらほどには役に立つことができるかもしれない。
人はいくつからでもやり直したり、始めたりできるものなんだと信じていることが、誰かの共感を得られるかもしれない。
最後の50代の日、そんなことを妄想しながら、プロフィールを書いています。

陶芸歴30年、まだ飽きていません。どこまでも奥深く楽しいのが陶芸です。
一緒に陶芸沼で遊びましょう!!!(笑)